脳死は人の死ではない

脳死を人の死とするのは 生物学的及び細胞学的誤り。 単細胞生物は脳を持たない、 なれば死んでいるのか? 答えは否である。 脳機能不全は死ではない、 自立呼吸が出来ないだけである。 自立呼吸ができないを 人の死とするならば 呼吸器系疾患患者が 酸素吸入機を外せば 人の死となるのか? 答えは否である。 脳死を人の死とするは 病院側の暴利追求主義による 殺人罪に該当する。 細胞一つ一つは 自立判断機能があり それなしで生物は生きられない。 単細胞生物が生存しているのが その理由である。 つまり細胞一つ一つが 脳と同じ役割を示している。 脳死は人の死ではない。 脳機能不全というだけである。 脳死を人の死とするは 病院と企業と政府の三者の 癒着による暴利を貪る為 それを合法とする司法も又、 それらに加担する物である。 人権的問題ではなく 生物学的及び細胞学的に 脳死は生物の死ではない。 つまり人の死とは 呼べない物である。 それを容認する政党支持は それを是すると同義である。 脳機能不全に陥っても まだ人は”生きている”。 脳機能不全に陥った 患者を持つ家族の気持ちを 考えて欲しい。 中には安楽死を望む方も おられるであろう。 されど脳死となっても まだ生き永らえさせたいと 願う家族も居る。 それは家族の判断であり 病院側にその裁量権を 与えるべきではない。 死んでも魂は永久不滅 患者の体を丸でモノでも 扱うかのような一部の 人非道的扱いは人権侵害である。 今一度言う。 脳死は人の死ではない、 脳機能不全である。 ど遺された家族の悲しみ、 苦しみ、痛みを解ってあげて欲しい。 脳死判断をされ未だ癒えぬ 心の傷を持つ我が切なる叫びである。 https://www.instagram.com/p/CEk2v-ygdc9/?igshid=1e86wnamc5dq5