常態行動心理学的双極性存在論

名前は厳ついですが中身はゆるゆるです。 例えば善と悪。光と闇。神と悪魔。 例えは真逆に存在する物(双極的存在)の 存在価値について多くの研究者は それを同等だとする考えが哲学を始めとして 多くの学派では主流だと思います。 善が有るから悪がある、 光があるから闇がある、 神が居るから悪魔が居る、 それらは対の存在が あって片方が存在する。 片方だけの存在は あり得ないとする考え方です。 されど私はこの考え方に 異議を唱える異端者です。 善と悪、光と闇、神と悪魔、 この内左側に位置する物は 独立的存在が可能な存在です。 されど右側に位置する存在は 付随的存在であり、独立的存在ではありません。 つまり片方の存在を 消そうとする存在ですから 消す対象が無ければそれらに 存在意義は有りません。 一方独立的存在は その物を消そうとする存在が なくても独立して存在が可能な存在です。 つまり対象的存在でありながら それらの存在価値の比重が違うと 言い換えられるのです。 これは人自体にも それを当てはめる事が出来ます。 我が元には己の存在を否定し その存在を亡き者とされ 己自身の存在価値を見失った方々が 多く来訪されます。 その方々に私は何時もこの 『常態行動心理学的双極性存在論』をお話しするのです。 貴方を排除しようとする方々は 貴方と言う存在を抜きに その存在意義を語る事は出来ない。 されど貴方は彼ら彼女の存在意義の 有無に関わらず存在意義を語る事が出来る。 どちらの存在価値により 多くの比重があるかは言わずもがなです。 誰かを何かを排除する事で 己の存在を誇示する物は それらの存在なしでは生きられない方々です。 翻り排除される側の存在は 排除する存在がなくても その存在が叶います。 そう考えれば己の存在を 其処に見出だす事が出来ます。 私はこれからもそういう風に 多くの存在意義を否定された方々の 存在価値を見いだし それらを否定する者達の存在意義を 消失させたいと願います。 https://www.instagram.com/p/CGtmzCRAZJw/?igshid=xb6fwrff3pq0