『海外で日本人英語が通じないのは 発音だけが問題ではない』

『海外で日本人英語が通じないのは 発音だけが問題ではない』 何度も渡航している人は 別だがそうでない人の場合 必ずぶつかるのは”言葉の壁”。 日本人は戦後教育の中で ”正しい外国語”を身に付ける事に 躍起になってきた。 鬼畜米英精神は未だ日本人の 生来型遺伝子に遺伝子情報として 脈々と受け継がれている。 先進国となった今でも その精神に代わりはない。 然しその精神こそが 海外でのコミュニケーション能力を 貶めている事に気づいていない。 日本人の外国語が外国人に 伝わらないのは何も”発音”だけが 問題ではない。 一番の問題は”表現力の乏しさ”にこそある。 或る面白いエピソードをご紹介しよう。 英文科卒のバリバリの バイリンギャルAと 文学部卒の普通の英語力しか 持たない大和撫子Bの二人の女性が 海外へ旅行へ出かけた。 Aは通訳は私に任せてと 意気揚々と目的地に着いた。 さて此処で本領発揮と 普段”大学で習った英語”を バリバリ使ってコミュニケーション。 然し…着いた先は都会ではなく田舎町、 都内某有名大学卒の二人は ”海外の田舎”に憧れ 敢えて都会ではなく町外れの街を選んだ。 第一の失敗はこの目的地の選択ミス。 Bは都会の方が日本語が使える場所も 多いと主張したがAは自らの英語力を 過信し却下。 Bもそれに従い田舎町を セレクトしたのだがこれが大失敗。 悲しい位Aの英語は 全く現地人には通用しない。 焦れば焦る程言葉を間違え それが余計に焦りを生みと悪循環。 見かねたBがAを押し退け 拙い英語と身振り手振りで 一生懸命現地人に説明。 私ですら通じないのに アンタの英語力で通じる はずがないじゃないと高を括るA。 然し結果は予想を大きく裏切り Bの英語で相手は理解し 何とか宿泊先についた。 プライドを傷つけられたAは 今度こそと宿泊先で”流暢で上品な英語”を披露。 然し此処でもやはり通じず、 今度もBの”拙い英語”で難を切り抜けた。 Aは自らの面目丸潰れとなり面白くない。 何とか汚名挽回をと思えば思う程 その心とは裏腹にBの活躍の場は増えていく。 自らのプライドを完膚無き迄 叩き潰されAは茫然自失 遂には引き籠りとなった。 帰国後二度と海外へは 行かないと言うAに対し 自らの英語力に自信をつけたBは その後海外へ就職を求め見事就職が叶った。 ではこの二人の違いは 一体何処に有ったのか? 答えは”Aの英語力が有り過ぎた”事である。 海外の田舎町では都会程”識音率”が 日本の田舎町と比較しても決して高くない。 つまりAの”綺麗な英語”は 彼らには”難しすぎた”のだ。 又、日本と同じで海外も”方言”があるので ”方言”で耳が慣れている現地人には ”標準語”は聞き慣れない言葉で理解が”難しい”。 翻りBの英語力はA程ではないが ”身振り手振り”を駆使し ”現地人と同レベルの語彙”で話した事が 功を奏した。 発音は決して良くはないが 平易な英語と一生懸命伝えようとする ボディーランゲージが現地人の理解を 増したと言って良いだろう。 ”正しい外国語”が必ずしも ”伝わる外国語”ではない。 私の英語力も対した事はないが 或る留学生に大学教授より 表現力があると言われた。 因みにその大学教授とは 英米文学部の 学部長殿である(笑) これが現実である。 https://www.instagram.com/p/CElzoNxgI2x/?igshid=12zu7ov3l6nrz