質素倹約を尊ぶ勿れ

日本国憲法で保証されている 基本的人権の中の 『健康的で文化的な生活』という 条文の中に『幸福の追求権』がある。 極貧生活や節約生活の 企画物を近年TVで 見かける回数が増えた。 過日も某巨大ガールズ ユニットの内の一人が 某番組の節約生活の 企画脱落した事に マスコミ各社芸能人からも 批判された記事が出ていた。 徳川吉宗公以降質素倹約を 尊しとする風潮は日本に 強く根付いている。 確かに島国且つ単一民族で 資源に恵まれない日本では 質素倹約は渡世術として 必要だったのかもしれない。 サバイバリゼーションの 観点から見れば 勿論外れては居ない。 生きて行く為には 必要最低限の物があれば 生きる事はできる。 されど生物学的生存と 人間の『文化的生活』は 実は大きく異なる。 人間が他の動物と異なり 文化を持ち地球上で進化し 生き残れた理由の一つに 『欲望』がある事を 決して外す事はできない。   勿論他の動物にも 『欲望』はある、 だが『理性』はない。 この二つのバランスの お陰でヒトは地球上で 知恵を持ち文化を持ち 長く地球でその存在を許された。 人間がこの二つを 持ち合わせていなければ とっくに自然に淘汰され 人間という生物は この世に存在しなかったろう。 『理性』とはいわば  『節制』と言換え可能。 されど先のバランスと同じ、 『節制』があれば『消費』もある。 この『節制』と『消費』の バランスが上手に取れている人は 『幸福』に生きている人と 言わねばならない。 然し人間このバランスを  保つ事は難しい。 『消費』に過ぎれば財を失い 『節制』に過ぎれば心を失う。 どちらも『過ぎたるは猶及ばざるが如し』。 年末に近くなり皆さん『質素倹約』に 必死になっている。 だがそれもまた『消費』へ向けての物。 飽く迄『節制』を主目的にしてはならぬ。 『節制』は私から見れば美徳でも何でもない。 過ぎれば我が目には『悪徳』にしか見えない。   今の世の中『稼ぐ方法』は幾らでもある。 勿論犯罪や人様に顔向けできない 商売をせずともである。 創意工夫で『節約』するより 創意工夫で『稼ぐ』事を考えよう。 それが人間が『健康で文化的かつ 幸福を追求できる』存在である証。 その方法は私がお示し出来ます。 https://www.instagram.com/p/CFCfBHcAwqY/?igshid=75v4sxzdzaca